のすたるじあ

2011年1月 5日 (水)

東長崎「おいしい水」、池袋NOW!

  「おいしい水」さんに、ついに伺うことができました lovely

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  私にとっては、”東長崎の懐かしい喫茶店”が、ご主人のお心意気そのままに、”池袋の手作りのお食事処”となられ、迎えてくださいました。

初対面(?)のご主人にご挨拶も叶い、コーヒーのこと、音楽のこと、お料理のこと、薩摩のお酒のこと。。。などなど、この日はゆっくりとお話を伺うことができました。

お心づくしのお料理の数々と、お酒を美味しくいただき、

最後にはもちろんsign03

ご主人こだわりのコーヒー(一杯点てですshine)もいただいてまいりました。

「ブレンドをお願いします。」とオーダーした時に、

カウンターの中から笑顔で、

「『おいしい水』、ですね。」とお返しくださった時には、思わず涙が。。。sweat02

    

  こちらのお店に伺うことが出来ましたのも、ネットの力のお蔭です。

ここのところすっかりサボり通しのこのブログの、なんと5年前の記事に、検索サイトからお訪ね下さったかたがたが結んで下さったご縁の賜物なのです。

しょーじ様、池袋の「おいしい水」をお教えくださって、どうもありがとうございました。

「おいしい水」ご主人様、このブログを見つけてお心におかけくださいまして、どうもありがとうございました。

    

  お店の紹介ページはこちらですhappy01

http://www.hotpepper.jp/strJ000768912/

http://r.tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13108307/ 

   

  

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2008年8月31日 (日)

8月31日という日

2008831_01_2   

   昨日8月30日、たいへん懐かしいかたがたのお集まりの会に伺ってまいりました。

20年前にはかわいらしい女子高校生でいらした皆さんの会です。

  

  ちょうど20年前の今日8月31日を、

私は、「明日からまたあのこたちと一緒の毎日が始まるぞ~っ!」と、

その皆さんのお顔を思い浮かべながら過ごしておりました。

  

  あれから20年経った今日8月31日は、

昨日の、今は立派な大人の女性となられた“あのこたち”とのひとときを思い返して、過ごしております。

  

  20年前の8月31日、

“あのこたち”の中の

ある人は夏休み最後の日とばかりに遊び納めをしたり、

ある人は制服のスカートのひだに自分でアイロンをかけていたり、

ある人は宿題に追われて半べそかいたりしていたことでしょう。

  

  今日はどんな思いでお過ごしでしょうか。

  

  おひとりおひとりに、素敵な9月が、秋が、訪れますように confident

   

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2006年10月21日 (土)

変わりゆく上野

20061021_01_1    久しぶりに上野の街に出てみてびっくり!

  

しのばず口から出て御徒町方面に向かうときに渡る、ガード下の大きな横断歩道の向こう側の眺めに、ぽっか~り大きな空間がっ!

   

20061021_02 上の建物は取り壊され、京成上野駅の入り口だけが残ってはいましたが、崩れた(崩した?)壁の端っこや、むき出しになった鉄筋が、ちょっと…無残です。通りから駅の中を覗いてみたところ、そこはまだ古びた階段や壁がそのままという感じでした。

  

  日常的に出かけていくところではないけれど、長年見慣れていた風景が変わっていくのは、やはり一抹のさみしさを覚えます。

いえ、たまに行くところだからこそ、久しぶりに行くと以前あったものが無くなっていたり、古いものが新しくなっていたりする状態に、途中経過をすっとばして突然遭遇することになるわけで、そのたびに(あの眺めは前回で見納めだったのか…。)といちいち嘆くことになります。

  

  夏に渋谷に久しぶりに行ったときも、街へ出る前、ホームや構内を歩いている段階からその変わりぶりに目を見張る思いでした。

そんな中、とある階段が変わっていないことに驚かされました。

2006819_01 場所は――なんと言ったらいいのでしょう――ハチ公前から東急の建物に入ってすぐのところにある、あの階段なのですが…。

周りの様子や、各階に出ているお店などもずいぶん変わっているのに、その階段だけがあたかも取り残されたように、古びた感じでそこにありました。

途絶えることのない人の波の中にありながら、その一角だけ時間がとまっているようで、それはとても懐かしく、嬉しいことでした。

  

  この京成上野駅も、上の建物だけきれいになった後、駅はそのまま少々異質な時の刻みをたたえたまま残るのでしょうか。

それはそれで楽しみ。また機会をみて様子を覗きにいこうと思います。

   

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2006年10月 4日 (水)

きっかけは金木犀

2006104_kinmokusei   昨日、ふっと金木犀の香りを感じました。

  

  まだかな、まだかな、と思いながら過ごしてきました。それでもなかなか出会うことなくもう10月に入って何日か過ぎたところでしたが、毎日のように通る道で、それは突然やってきました。

一度気づいたが最後?!おかしなもので、もう昨日も今日も、通る道々に金木犀の香りがあふれているように感じられてなりません。

  

  今日、実家でそんな話をしていて、ふと母のいなかの庭の金木犀の話になりました。

金木犀といえば、その香りのよさを頼みに、お手洗いのそばに植えられ重宝がられてきた木です。

いなかの金木犀の今ある位置の話から、いなかの庭にお手洗いのあった場所の変遷や、母屋のこれまでの増築の歴史へと、話は思わぬところまでころころと。

母のいなかの思い出話の尽きない、おだやかな秋の午後でした。

   

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2006年9月24日 (日)

今度は北へ(1) ―みちのく○人旅

  えんぴつでなぞる「奥の細道」が流行っているようですね。

  

  松尾芭蕉の「奥の細道」を意識しながら、東北に初めて旅したのは中学3年の秋の修学旅行のときでした。

修学旅行ですから、200人を超える団体で、次はどこどこ…次はどこどこ…の大移動。いったいどこに行って何を見てきたのやら、当時はしみじみと味わう余裕もなかったというのが正直なところですが、そんな中でも、山形の立石寺(りっしゃくじ)、通称“山寺”は心に残りました。

帰ってきてから作文を書いたときにも、そこを訪れた印象をまとめました。

  

  教員として勤めた学校は、母校ではありませんでしたが、中学3年の秋に東北旅行に行くというのは同じで、旅行前にはずいぶん「奥の細道」を授業で紹介し、旅行に備えたのを覚えています。

  中学2年生を担任していた年、「来年、中3になったら東北へ行くのですよ~!」と生徒を盛り上げ?たくて、冬休みに1人で松島と山寺を旅してきました。

  後から生徒に紹介できるように、「ここがポイント!」と示すための写真を、行く先々で撮りました。石碑や像の大きさなどもわかるように、セルフタイマーを使って自分を入れた写真も何枚かありました。

  休み明けの3学期の授業で生徒に見せたところ、おとめごたちの関心は思いもよらない点に集中し、授業は予期せぬ異様な盛り上がり?を見せてしまいました。

「先生~、この写真、誰が撮ったんですかあ~(^○^)?」

「タイマーを使って自分で撮りました(^-^)」

「ええ~?うっそだあー。誰と行ったんですか~(^○^)?」

「…ですから!ひとりで、ですっ(- -; 」

お年頃のお嬢さんたちには、芭蕉の句碑やありがたいお社よりも、独身の担任が誰と旅行してきたのかのほうがよほど興味深い事柄だったのでしょう。写真の日付もよりにもよってクリスマスでしたしね…(^△^;

  

  それから十○年、久しぶりの山寺行きとなりました。

今回は、200人超で、でもなく、

     1人で、でもなく、

     2人で、です!\(^O^)(^O^)/

   

 

2006924_yamadera_01   じゃーーーん!!

   

  

  

  …母と。(^O^;

  

   

   

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2006年9月18日 (月)

西へ南へ(21) ――JR門司港駅

  鹿児島の旅から小倉に戻り、何日かを過ごし、いよいよ東京に帰るという日の前日に、JR門司港駅のほうへぶらりと出かけました。

  

2006813_mojikoueki_01 門司港駅の駅舎は、大正3年(1914年)に建造され、今では国の重要文化財に指定されています。

門司港駅は、関門トンネルの開通まで九州の鉄道の玄関口で、対岸の下関との間を結ぶ連絡線の中継駅でもありました。

構内には、往時をしのばせる作りがそのままのこっていますが、中でも私が惹かれるのは「関門連絡線通路跡」という、暗い通路でした。

2006813_mojikoueki_06 今回もそこを通るのを楽しみに出かけたのですが、着いてみてびっくりしました。通路跡は入り口が閉じられてあり、通り抜けできなくなっていたのです。

  

  

2006813_mojikoueki_07 上の写真は、この左の写真の右奥へと下りていくようになっている部分です。
以前はこの右の入り口と、左側の入り口とを結ぶ奥の通路を通ることができたのです。

 

   

20044_mojikoueki   こちらは、2年前の5月に訪れた時のものです。奥の通路に入っていくことができた様子をおわかりいただけるかと思います。

  

  この度、通路が閉じられてしまっていたのは残念でなりませんでした。「間に合わなかった…。」と思いました。

でも考えようによっては、「2年前の時に通れてよかった!」ということになるのですよね。つまりは2年前のそのとき、私は「間に合った」のです。なんの気なしに撮った写真が、今になってこのような記念になるとは、その時には思いもよりませんでした。

  

  今回の旅でも、行く先々で様々な記録をとりました。それらがもしかしたら何年かの後に、ささやかながらも貴重な記録になるのかもしれません。

    

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2006年9月13日 (水)

西へ南へ(16) ――指宿をあとに

  指宿泊の夜が明けました。

前日からのレンタカーの旅は、駅前に車を返したら終わりです。…という段になってやっと、車の入った写真を撮りました。 

  

  実は以前にアメリカでレンタカー旅行をした時、借りてすぐに車の記念写真を撮ったことがありました。
そしてその旅の途中で、車を取り替えてもらわねばならないほどの事故を起こしてしまったのです。
皮肉にも、思い出の写真の中には無傷の(?!)最初の車の写真がちゃんと残っています。

  それからというもの、借りた車の旅が無事に終わるまでは、その車を写真に収めないことに決めました。ささやかなジンクスです(T-T)

2006811_vitz   

  というわけで、これは、返却前の喜びのポーズ?!

T○Y○TAのVitz、いやあ~コンパクトながら抜群の乗り心地でした。(日ごろ乗っている愛車があまりにもひどいので、よりいっそうの感激でありました。)

   

  返却後は、指宿からまた「なのはなDX」に乗り、鹿児島中央へと。

     

    

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2006年8月29日 (火)

西へ南へ(1) ――小倉への帰省

  子どもの頃は、地元の神社さんのお祭りの終わってしまうことが恐怖でした。

祭礼が終わると、8月ももう残りわずか。

夏の終わりのさみしさと、夏休みの終わる焦りとが重なって、どうにも耐えられないほどの終末感に押しつぶされそうになったものです。

  今でもそれに似た感情に襲われますが、同時に、この8月の末にきてやっとゆっくりこの夏を振り返ってみる気持ちにもなりました。

   

20068_kyusyu_01    この夏は、九州に行ってまいりました。

福岡は小倉への帰省と、そこから鹿児島まで足を延ばしての小旅行と。

  

  私にとっての“もうひとつの実家”は、当初大阪のはずでした。

実家は大阪、本家は岐阜という人と縁付くのではないかとなった時、私の実家はずいぶんとまどったようでした。私の父方、母方とも、親類縁者は関東周辺に集中しておりましたので、「西に親戚ができても、どうお付き合いしてよいかわからない。」という、なんとも臆病な、今から思えば笑い話のような理由からです。

  はたして、そんな心配は取り越し苦労に終わりました。両家とも会って話をしてみれば、なんのことはない、西だ、東だ、という文化の違い(大げさ(笑))など、さして問題にもならないことはすぐにわかり合えました。

  

  その後、彼の実家が大阪から小倉に引越したため、嫁として初めての帰省先は小倉となりました。

小倉といえば、博多のひとつ手前。大阪と比べたら、「倍くらい遠くなった?!」とびっくりしました。「関門海峡を越えていく?!」と考えただけでもくらくらしましたが、今では新幹線のぞみ号なら4時間40分くらいで行ける距離。

その距離や時間の長さにも、やがてすっかり慣れました。

ときどき、名古屋の親戚のところに行くことがありますが、名古屋には東京を出て2時間足らずで着いてしまうので、(物足りない…。)という気がしてしまいます。

いつの間にか、「旅気分を味わうには、このくらい乗らないとね~。」と、小倉への4時間40分をちょうどよく必要な長さとすら感じるようになっていました。

  あの、九州の父の訃報が飛び込み、小倉へと急いだ秋の日をのぞいては…。

  

  今では一人となった母は、近いうち小倉をあとにすることでしょう。

「帰省」という名の小倉行も、もうあと何回あるか知れません。

父の終焉の地となった土地をできるかぎり確かめつくして来られればという、そんな思いもこめての、この夏の帰省でした(^-^)

      

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2006年8月27日 (日)

夏まつり

  この土、日は、夏から秋にかけて時折ご披露するオリジナル「夏まつり」のイメージモデルとなっている(←こんなふうに言うとえらく大げさである(^▽^; )、近所の神社さんのお祭りです。

2006827_01 今年の1月29日1月30日の記事でご紹介した「ダイアモンド富士」の臨める富士見坂を上って出かけていきました。

夜店の風情を満喫するには少し早いかなと思われる黄昏どき。

坂を下りてくる人たちの顔もはっきりとは見づらく、「黄昏」の「誰(た)そ彼(あの人はだれ?)」という語源を思い起こさせます。

2006827_02_1   

ややや!!!

なにやら面妖な風船?を背負った方を発見。うーむ。誰そ彼…。

   

2006827_03_1   

あたりはだんだんと暗くなり、縁日の賑わいも酣に。

露店の軒先の白熱の灯の美しさに魅せられながら、家路につきました。

おみくじは、「吉」。

   

     

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2006年8月16日 (水)

いなかのお嫁さん

  昨日15日、茨城にある母の実家のお盆に行ってまいりました。

母や妹たちは朝早く出ていました。旅行帰りの私は「今年はいいから。」と言われて残ったものの、お昼頃に思い立って遅ればせながら出発。

2006815_obon_01   母の故郷、下館市は今や筑西(ちくせい)市

新市の誕生は17年3月だったということですが、昨年秋に来たときにこの標示に改まっていたかどうか、よく覚えていません。今回初めて妙な違和感をおぼえました。

2006815_obon_02 筑波山を右に見て、国道294号をひたすら北上。

この日の筑波山は残念ながら雲がかかって、頂上が見えませんでした。

  

2006815_obon_03   母のいなかは昔ながらの農家。

広い庭を見渡せる縁側に、お盆の提灯が並んでいます。

この提灯は新盆を迎える仏様のために作られ、新盆の年を入れて3年間掲げられます。

3年前に祖母が亡くなり、一昨年に祖父が亡くなり、そして、昨年秋には若い叔母が亡くなり…、今年は提灯が三つ並んでしまいました。

  母のいなかには夏休みのたびに泊まりに行っていました。叔母がお嫁さんに来た頃、私はもう小学生でしたので、若い叔父に地元の農家からお嫁さんが来ることが決まってみなが喜んでいたことも、とてもよく覚えています。

叔父が独身だった間は、祖母が台所をしていました。その頃は畑でとれたものが中心の食卓でしたが、若いお嫁さんが来てからは、東京から来た私たち姪っ子たちのためにとハムやハンバーグが並ぶようになったのが子ども心に大感激でした。

  叔母は、叔母にとっての姑、舅を見取るという大役を果たしたあと、ほっとする間もなく逝ってしまいました。

一昨年、昨年と新盆が続き、忙しく立ち働いていた叔母でしたが、今年はその叔母の新盆となってしまうとは…。叔母に代わってお盆のごちそうを並べたのは、私よりずうっと若い従妹たち。思い出話は尽きませんでした。

  

  遅く到着したのですが、所用があり帰りもひと足お先にひとりで。

2006815_obon_04 今度は国道294号をひたすら南下。

実は昨年秋の叔母の葬儀の日、携帯にとある訃報が入り、私は葬儀の途中で東京へとひとり急いで帰ったのでした。

この道を走るとあの日のことが思い出されます。

叔母には本当に申し訳ないことを…。それが心残りだったので、新盆にはなんとしてもお詫びに行きたかったのでした。

    

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