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2006年8月15日 (火)

伝えるということ

  この日付でひとこと綴っておきたいと思います。

  

  教壇に立っていた頃、戦争に関わる文学作品を授業で扱うことがありました。

ある夏、中学1年生と一緒に広島の原爆についての作品を読んでいたときのことです。

凄惨な被害の模様を調べ、学習し、教室中の子が胸をつまらせていた最中、ひとりの生徒が、

「でも原爆が落ちたことはよかったことなんだよ!」

と発言しました。

クラスは騒然となりました。

その子によくよく話をきけば、「原爆が落ちたことで戦争は終わったんだ。だからよかったのだ。」とおうちで教わったとのことでした。

ここから先は私の推測になりますが、たぶんおうちのかたは、その経緯をもちろんもっと丁寧にお話しになったのだろうと思います。でも、その子の中では「原爆は落ちてよかったのだ。」とまとめられてしまった…。たぶんそこが一番強烈にその子の心に響いたのでしょうね。

  伝えていくということの難しさを思い知らされたできごとでした。

  

  私たちの世代は戦争を知りませんが、戦争を知っている世代の人々からじかに話を聞けたという貴重な体験を持っています。

でもそれを次に語りついで行く時、私たちが伝えてもらったほどにはとうてい伝えきれないでしょう。

そして、私たちが伝えた世代がさらに次に伝えていく時、そしてまた次に…、と時間も代も戦争のあったそのときから遠ざかるたびに、重みはどうしても目減りしていってしまうことでしょう。

  それは、いたしかたのないこと。この今ですら、「戦後」と呼ぶには、もうずいぶん終戦から時が経ちました。

それでも、今のこのときが、いつの日にか間違っても「戦前」と名付けられるようなことが絶対になきようにと、できうるかぎりの努力をしていかねばなりませんね。

      

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