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2006年6月28日 (水)

報道されるべきことと、ふせられるべきこと

  新聞、テレビのニュースをみていて常々思うことなのですが、何が明らかにされるべきか、また何がふせておかれるべきか、その判断は本当に難しいことなのでしょうね…。

  

  数日前のニュースで、昨年11月の広島の小学1年生の女の子の事件についての、女の子の父・健一さんの会見の内容を知り、言葉を失いました。

これまでふせられていた犯行の実態にも、それをあえて詳細に報道してほしいというお父さんのお気持ちにも、です。

性的犯罪の報道における被害者側への配慮について、「それでは残酷な犯行の実態が伝わらない。」という今回の訴えは、痛々しく感じられてなりません。

  

  もうひとつ、別の事件の報道で思ったこと。

昨日解決した、東京の女子大生誘拐の事件についてですが、携帯から発せられた微弱電波がどうのこうのと言われているけれど、そんなこと公開してしまっていいのかな…と考えてしまいます。

あんまりつぶさに報道したら、「どうしたらアシがつかないか」を逆に教えるようなことになりはしないのかしら…。

でもね、もしかしたら、決定的に重要なことはふせられているのかも。隠されているうちは、“隠されていることがあるということ”を知らされないでいるわけですから。

    

  まったくまとまりませんが、めずらしくこのようなことをつぶやいてみました…。

     

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コメント

 恭子さんへ

  昨日、横田めぐみさんの夫とされる方と、韓国に残されたご家族との再会映像を、複雑な思いで見ました。

  北朝鮮メディアが編集した映像、それを眺めるめぐみさんの両親、それを映す日本メディア、それらを分析しながら語る関係者。。。

  何が真実で、何が偽善で、何が幸せで、何が世界平和なのか。
  ものすごく考えさせられました。

投稿: にいたん | 2006年6月29日 (木) 09:32

にいたんへ

おっしゃるとおり、あの映像にはなんとも腑に落ちないところがあって、複雑な気持ちになりますね。

 
世の中に起きているすべてのことを自分の目で確かめて回ることは不可能なわけで、どうしたって誰かが調べて誰かが流し広めてくれる情報を受け取るしかないのですが、
それが全てと思って鵜呑みにしていいかどうかというのは、本当に考えさせられます。

本当に的確な報道というのもあるのだろうけれど、それが見極められないから、まず疑ってかかっちゃう。最近はそんな感じです…。

投稿: 恭子 | 2006年6月29日 (木) 11:20

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