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2005年8月の記事

2005年8月31日 (水)

♪VACATION  ――伊豆シャボテン公園

Vacation-Kougenryu  いよいよ8月も今日で終わり!

この夏のVacationのご報告も、そろそろフィナーレとまいりましょう~

  こちらは、伊豆高原にある伊豆シャボテン公園。園内に入ると、リスザルやクジャクなどの動物たちがフツーにその辺を歩いていて、びっくりします。芝生で休んでいたペリカンの群れを見つけたので、遠くから「お―い!(^○^)/」と叫んで声をかけたら、みな揃ってくるりとこちらを向き、大きな羽を広げながらこちらへ大群で歩いて来た時にはビビリました~(+ +; 人なつこいのかな ?!

  伊豆シャボテン公園といえば、私にとっては、仮面ライダーでショッカーの基地がここにあった巻の記憶があり、そのせいか(私、一度来ているのでは?)とまで感じます。なんとなあ―く不気味なイメージ。そもそもこの右上の、とりわけ目を引く「高原竜」の像だって、なかなかおっそろしいではありませか。。。

vacationshaboten_park ここは、「高原竜」の像の下へともぐった温室の中。…そうそう…確かこの中でショッカーの怪人との戦闘シーンがあった気がします…(@ @;

そんなことを考えながら、外に出ると、どちらかのお父さんがお連れのご家族に、「ここは、キカイダーのロケ地としても有名な(-o-)/……」と講釈をなさっていらっしゃる…。

(ほお~~、キカイダーにも出てくるのかあ~(・ ・;)…)

と、思えば、今度はまたべつのご一行の、肩車をしたお父さんと肩に乗った坊ちゃんが、「高原竜」の像を見上げて、「ほんとだ、ヒドラだ、ヒドラだ\(^O\)(/O^)/」と盛り上がっていらっしゃる…。

(ヒドラぁ?ウルトラマンに出てくる、あの「ヒドラ」?…たしかによく似てるかも…この像がモデル…(・ ・;)??)

  つまりは、ここ伊豆シャボテン公園は、特撮もののロケのメッカなのでありましたっ!恐れ入りました~w( ゜ o ゜)w

vacationshaboten_noodles_soup   驚いてたらお腹がすいた~ごはんごはん~ヽ(*´▽`*)ノ こちら、名物?!「シャボテンラーメン」。

真ん中に見えるメンマのようなのが、シャボテンです。そう聞くとヒルミますけれどね、ラーメンもシャボテンもたいそう美味でしたよ!お土産にシャボテンのピクルスを買ってきましたが、お店ですすめられたとおりに水にさらしても、このラーメンの中にあったものほどには、なぜか美味しくならないのです~(T-T)

  

  かくして、無事に帰京し、お土産の干物を持って実家に。出されたお茶菓子を食べながら…

「あのさあ~ポリポリ~私さあ~ポリポリ~町内の子ども会とか、組合のバス旅行とかでさあ~ポリポリ~シャボテン公園って行ったことあるのかなあ~ポリポリ~」と、何の気なしに尋ねるうちに、母がみるみる呆れ顔になり、

「…小学生だった頃、家族旅行で連れて行ってるんだけどっ。あんた、覚えてないの??」

……w( ゜ o ゜)w まっず―――い!聞けば、浄蓮の滝にも行っているそうな。「あ~あ、やっぱり。そういえば、そんな気が~(^o^;」なんて言ったってもう遅い遅い。。。

「店の仕事調整して、必死の思いで休みを作って連れていっても、子どもなんてこんなものね。よ―くわかったわっ。」

あ~ら―ら―こ~ら―ら―((((((m- -)m

教訓

親に連れていってもらったことを忘れるのは、どの彼氏と行ったのだかわかんなくなるのより、まずし。。。なんだそりゃ(^△^)

  皆様がたにとっても、素敵な思い出いっぱいの夏でありましたことを…(*^人^*)

   

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2005年8月30日 (火)

♪VACATION          ――羽化

Vacation-Uka

  滝めぐりの道中、蝉の羽化に出会いました。

ときおり、からだをふるふるっと震わせながら、少しずつ…少しずつ…。

なんとも神秘的な瞬間です。

このまま無事に、何ものにもじゃまされず、林の中に飛び立っていったでしょうか。

  この写真を撮ってからもう一週間。今頃はもうその生を全うしている頃でしょうか…。

  夏がゆこうとしています。

  木立の中に降り注いでいた蝉の声、人知れず咲いていた花々、彼らは私たちのために鳴いたり咲いたりしてくれていたわけではもちろんありませんが、この夏を彩ってくれた命に敬意を表して…

  

  玉の緒は なほも地に継ぎ そらに満つ

        などかはきみを 忘れやはする

   

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2005年8月29日 (月)

♪VACATION       ――河津七滝

Vacation-LoopBridge  国道414号を車でさらに南下。河津七滝の入り口にあるループ橋です。直径80m、総延長約1kmのらせん状の、自動車専用の橋です。巨大なこの橋をぐるぐる走っていっきに45m降下するわけですが、自動車専用ということは…、歩きの場合どこでこの45mの高低差を移動するの?!…どうやら付近に210段の急な石段があるらしい。。。滝の観光はやっぱり根性がないとできない~(o__)o車で楽々クリアは申し訳ない気持ちです。

  駐車場に車を置いて、滝めぐり。河津では滝を「たる」と呼ぶそうな。ですから、河津七滝「かわづななだる」

七つの滝とは、釜滝、エビ滝、蛇滝、初景滝、カニ滝、出合滝、大滝。残念ながらすべては回れませんでした~。

2005  まずはこちら。

初景滝。踊子像が迎えてくれました。 この右手に清水の湧き出ているところがあり、柄杓も置いてありました。もう暑くて、暑くて~、手にすくって何杯も頂いてしまいました。冷たくてとても美味しかったです~ヽ(*´▽`*)ノ

wasabi   滝めぐりの途中で立ち寄ったお蕎麦屋さんでは、わさびが1本、石と一緒に出てきました。

「わさびはつゆに入れないで、蕎麦に乗せて食べなさい。」と、ご主人。お昼時を過ぎてお店も静かだったためか、ご主人自らつききりで、石の上でわさびをおろして下さいました。そして、わんこそばならぬ、「わんこわさび」?!お蕎麦を一口分お箸ですくうごとに、小さじ1杯分はゆうにあるわさびを乗せて下さる。。。ひえ~~~っ(++) 私、辛いのだめなんですぅぅぅ~~~(T△T) と叫ぶ間も無しっ!

…ところがですね~、不思議と平気で、いえ、平気どころか美味しくて、結果として、ものすごい量のわさびを頂いてしまいました。ごちそうさまでした~ヽ(*´▽`*)ノ

  お次は甘味。滝めぐりの道中、お茶屋さんでお団子も食べちゃった~ヽ(*´▽`*)ノ

Vacation-Ootaki  そして、大滝。 この滝のためにはずいぶんまたさらに低いところまで下りていきました。こちらは天城荘という温泉旅館の敷地内にあるので、きちんと旅館に“入場”して見にいきます。そのままの服装で行けるルートもありますが、露天風呂のほうに入場して、滝のしぶきのかかりそうな辺りのお風呂に入りながら眺めるのも最高です!!

  お風呂から上がると、岩手から東京の実家に遊びに来ていた妹からメール。「おすすめの回転寿司やさんを教えて!」と。そんなメール見たら、私もお寿司が食べたくなりました。「今晩はお寿司にしよう~ヽ(*´▽`*)ノ」と心に決めつつ、車へ。

  

  さっきからヽ(*´▽`*)ノな顔ばっかり。そんなヒマがあったなら、七つの滝全部回れーっ!と言われそうです(>v<;

  

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2005年8月28日 (日)

♪VACATION    ――往きと返り

yuki   旧天城トンネルへの林の中の往復は、たかだか1時間半くらいのものでしたが、途中出あう人もほとんどなく、あまりの静けさに不安になるほど…。まずはその上り始めでパチリ。

kaeri   そっくり同じ道を戻ってきただけの復路も、(あれ、いく時こんなところ通ってないよね…間違えたかな…)と、不安になり、立ち止まることしばしばでした。右は、上の写真とほぼ同じ所まで戻ってきた時の写真です。

  「往きと返りと変るせいか、景色の違うのも不安だった」という、芥川龍之介の「トロッコ」の一節を思い出します。

「小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。」で始まる龍之介の「トロッコ」は、湯河原出身の知人の少年時代の体験を聞いて書いたといわれていますし、作品中、良平も真鶴のあたりを走って帰りますし、今回の旅とご縁がありそうですね~。

  あ、今日の記事のここは、伊豆の天城峠ですけれどね (^-^)

そんなことを考えながらわが愛車まで戻ると、黄緑色のこんなきれいなクモが…!

kumo いや、クモに喜んでいるわけではないのですが、色彩が美しかったので、思わず撮ってしまいました。

……w( ゜ o ゜)w

芥川路線?で「蜘蛛の糸」、ですか?!

  できすぎ~\(^O\)(/O^)/

   

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2005年8月27日 (土)

♪VACATION    ――旧天城トンネル

  今回の旅の主な目的は、「『伊豆の踊子』の舞台を訪ねて」。

  ご当地には、「踊子歩道」なる全長21kmのハイキングコースも整備されているのですが ――全行程を歩きぬく根性がないので (T-T)―― 車でちょこちょこ移動しながら、ところどころを歩いてきました。

michishirube

  国道414号の「水生地下バス停」に車を停めて、天城旧街道へと入ります。

旧天城トンネルまでは、林の中の上り坂を、のんびり歩いて30分の道のりです。

2005   ほどなく、左手に、川端康成と「伊豆の踊子」の文学碑が見えてきます。

    

  着きました\(^○^)/

2005旧天城トンネルの、北側入り口です。物語の冒頭で、主人公「私」が踊子たち一行と初めて出会ったお茶屋さんは、この向かって右手前にあったといわれています。

2005  向かって右手奥には、トンネルを通らず稜線をいく道の案内が。草や木が鬱蒼と繁って見えましたが…、行けるのかな。

  明治37年に竣工された旧天城トンネル

全長445.5m、幅4.1m、国の重要文化財にも指定されています。

2005苔むした石組みのトンネルの中は、ひんやりとして涼しいです。 照明も暗く、ちょうど真ん中あたりにさしかかりどちらの口からも一番遠くなると、さすがに心細く、出口の光の点へと足を速めたくなります。

2005

  トンネルの南側、河津側の出口です。

  …というか、私にとってはまた入り口(笑)~!

もちろんこちら側の先にも道は続くのですが、私はまたトンネルの中を戻り、車を停めたところまで、のんびり、てくてくてくてく。。。(p^-^)p

   

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2005年8月26日 (金)

♪VACATION      ――浄蓮の滝

2005伊豆を代表する名瀑、浄蓮の滝

高さ25m、幅7m、滝壺の深さは15mあるそうです。

  これほどの滝ですから、駐車場から滝壺へと下りていく石段の数もすごいです。帰りはそれを逆に上って戻らなければならないわけで、(滝は若いうちに見ておこ…)などとついつい考えてしまいます。もちろんまだ若いつもりで言っているのですが、こんなことを考えること自体、もう若くない証拠かも~(^▽^)

下りていく時、列の前後の皆さんが口々に「マイナスイオンだ」「マイナスイオンが満ちてきた」とおっしゃっておいででしたのが、面白かったですね~。

  2005渓流の水がきれいなので、滝壺近くにはこんなみごとなわさび田が。緑が美しかったです~

ヽ(*´▽`*)ノ

わさび専門のおみやげ屋さんも。ここで、お土産の生わさびをどっさり7~8本ゲット!

  そしていよいよ帰路の上り。

滝をめざして夢中で下りてくる時には気づかなかったものに、いろいろと気づきます。ふう~。。。なんて息をつきながら、よそ見をたくさんするからかな。

  見つけたもののひとつ。石段から脇へと下りる、釣具貸し出しのお店の勝手口です。

2005 大木の根っこをよけるように下りていくこの狭い通路 ()

私は、坂道や細道がだあ~い好きなので、お店のかたにお願いして、下までくぐらせていただきました。2005

これは下からのぞいた写真です。このような穴ぐら(失礼!)に身をひそめて?いると、なぜかわくわくしてきます。

  駐車場への上りは、皆さんきついと見えて、あれこれ工夫をなさる方もおいででしたよ。

途中面白かったのは、ご家族連れのお父さんが「あー疲れた。『グリコ』でもしながら上って行くかあ~」と言ったとたん、子どもさんがたが「やろう!やろう!」と大乗り気ですっかり盛り上がったところへ、お母さんがすかさず「何ばかなこと言ってるの!後ろから人がどんどん来るでしょっ!じゃまじゃま!さっさと上って!」と一喝!!

お母さん、強~い(^▽^)

  

追伸:ここで買った生わさびは、宿の冷蔵庫にすべて忘れてきてしまいました。それを東京に戻って、荷物を整理するまで気づきませんでした (T-T) ぐっすん。。。

  

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2005年8月25日 (木)

♪VACATION ――修善寺温泉 菊屋

  修善寺に行こうという確かな予定はなかったのですが、道路の案内板で「修善寺温泉」などという文字を見てしまったら、ほうってはおけません。ちょっと寄り道~。
  修善寺といえば、思い出すのはかの夏目漱石の「修善寺の大患」。作品名ではありません。1910年夏、漱石は持病の胃潰瘍の転地療養先であったこの修善寺で倒れ、一時は人事不省にまで陥りました。その出来事を指すことばです。
  滞在していた旅館はこちら、菊屋。
2005
宮様や乃木大将も宿泊なさったという、由緒正しき旅館らしい風格をたたえていました。
  予約客でもないのにさっそく一人で中にとびこんで、お話を伺ってきました。
この9月から来春にかけてリニューアルの工事をなさるそうですが、さすがに玄関の構えや漱石の泊まった「梅の間」には手をつけないそうです。よかった~。
玄関の中の写真を撮っていいかと尋ねれば、きっといいとおっしゃっていただけたとは思いますが、厳粛さと静寂にうたれていたのか、そうは言い出せない気持ちでした。
  
  玄関のしつらえや、古い柱、そして奥へと続く長い廊下には、歴史を感じました。
漱石の夫人、夏目鏡子さんの述懐を思い出します。漱石の容態が悪いという電報を受け取り、鏡子夫人が東京からかけた電話には、なんと漱石本人が電話口に出たそうですが…。
  
  「床についている病人を、あの菊屋の長い廊下の、しかも上がったり下がったりの一道中を、帳場まで呼び出したのかと思うとぞっといたします。」(「漱石の思い出」より)
  
  それから何日かの後、「修善寺へ急行せよ」との電報が来て、夫人がかけつけ、そのまた何日か後には大きな吐血をし、危篤状態に…。それが1910年8月24日のことでした。
  死線をさまよい、その後の漱石の人生観や文学観に大きな影響を与えたともいわれている「修善寺の大患」――この場所での、今から95年前のできごとです。
     
  余談ながら、「漱石の思い出」は、漱石が世を去った後、鏡子夫人が語ったお二人の出会いからのことを、娘婿で漱石の弟子でもあった松岡譲が記したものです。文庫本にもなっていますので、よろしかったら一度お手にとられてみてください。
さきほど、「東京からかけた電話」などと書きましたが、実は当時漱石の自宅には電話がまだなく、ご近所のお宅の電話を借りてかけています。
また、「急行せよ」と知らされ駆けつける際に、夫人が子どもをどこに預けてとんでいったかなども克明に記されています。
漱石の讃える女性へのやきもちも時には見え隠れ…??
  あくまでも夫人からの視点で語られたことではありますが、作品からはわからない、漱石の生活のにおいがして興味深いですよ (^-^)
  

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2005年8月24日 (水)

♪VACATION     ――湯河原の月

2005ぶらぶらと湯河原駅前に出てきたのが、午後の6時過ぎ。

空にはぽっかりお月さま。

「今宵は月も出るそうな…」

などと思わずつぶやきたくなります。

「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」

という竹久夢二の詩を 、子どもの頃は耳できいて、「出“る”そうな」と間違えて覚えていましたっけ。

まだ6時過ぎだというのに、駅前のほとんどの商店はもう店じまい。降りてくる夜を迎える仕度が整ったという風情です。

東京のような“不夜城”に暮らしていると、こういう当たり前のことを忘れています。

私は都会の暮らしが好き。きっと都会でしか暮らせないでしょう。

だからこそ、「夜になれば闇が支配し、人は眠る…」、そういうことを時折きちんと思い出すのがとても必要…。

東京を発ってくるとき、月の暦は見てきました。

(あさってが満月のはず。…ということは、今宵の月は十三夜…?)

そして、今度は樋口一葉の「十三夜」の世界へとそぞろ歩き。。。

  

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2005年8月23日 (火)

♪VACATION      ――真鶴道路

  真鶴道路の新道のほうを行くと、ある区間海の上を走ることになります。

下の2枚、うまく繋がっていなくてお恥ずかしいのですが、なんとなくでもその景観はおわかりいただけるでしょうか。向かって左手が東京方面、右手が湯河原、熱海方面です\(^O^)/

2005

2005

  東京を背にして、進行方向右手には海水浴のできる砂浜が広がっています。この道路を車で通るたび、いつも気になっていたその砂浜に、今回は下りていってみました。

  お天気はよく、眺めは最高!海の家も数軒並び、海水浴場としてもなかなかの賑わいです。私は海の家の2階で、真っ青な海と、海にかかった真鶴道路を眺めながら、のんびりとカキ氷を食べていました。

  私のひとつ向こうの席には、“荷物番をしているお母さん”とおぼしきかたがいらして、海のほうに笑顔で手を振ったり、カメラで写真を撮ったりしていました。そのうちに、一点を見つめたまま表情がこわばっていき、次第に立ち上がり、手すりから身を乗り出して、誰かの名前を叫ぶと、海の家から浜へと駆け下りて行きました。その様子はただごとではなかったので、「どうした、どうした?!」と海の家の2階は騒然となりました。

  お母さんのかけつけた先ではもう、お父さんらしき人が小学生くらいの男の子を抱きかかえて上がってくるところでした。ライフガードのかたも一緒に海から上がってくるのが見えました。こんなに泳いでいる人がいる中で、どの人が遊んでいるのか、どの人が溺れているのか、ライフガードのかたの目には見分けがつくのですね…!びっくりしました。男の子は…自分で歩いて来られるみたいです。ああ、よかった~(;人;)

  海の家に戻ってきたお父さんはTシャツごとびしょぬれでした。手に持っていらしたビデオカメラは、助けに入る時夢中でほうりなげたのでしょう、砂まみれでした。少し大きいお姉ちゃんらしき女の子は、「ウキワ放すなって何度も言ったのに…ふざけて言うこときかないから…」と蒼くなっていました。男の子はお母さんに肩を抱かれながら、「怖かった、怖かった、…」と繰り返し、泣きじゃくっていました。

  海の家の2階には、ほっと安堵の空気が満ちていました。

  

  かなしい水の事故のニュースが流れるたび、いたたまれない気持ちになりますよね…。特に、子供の事故はほんとうにつらい…。

ほんのちょっとでもタイミングや状況が違えば、助かって、みんなこうしてお父さんやお母さんに抱かれて「怖かった…」と泣けたのでしょうに…。

それができるのはね、本当に本当に幸せなことなんだよ?よかったね。今はたくさんたくさん泣いてね、そして次からは気をつけるんだよ~ (^-^)

  

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2005年8月22日 (月)

♪VACATION ――海!

2005 ♪まっ・ちっ・どっ・おっ・しいのはあ~夏休みっ~♪

行ってきました!

California

!!

\(^○^)/

  

…じゃなくてじゃなくてじゃなくて (/O^)/

ここは伊豆高原の城ケ崎海岸

空は青いし、流れる雲は白いし、木々の緑に、鮮やかな色とりどりの花々…も~う、るんるんで―す

(でも吹きすさぶ風で髪はぐしゃぐしゃ~)

大室山の溶岩が相模灘に流れ込んでできたというこの奇勝の地。

2005

  

最初はるんるんでも、足のすくむようなこ―んな吊り橋を渡ってくると…   

 

2005 こ―んな景色が眼前に!

だんだん顔がひきつってきます。

  

2005

こ―んな景色を臨みながら 、へっぴり腰で崖っぷちまで近寄り、おそるおそる足元をのぞくと…

   

2005 こ―んな感じ…!

こ、こわい…

  

 

「こ―んな」ばかりで説明にならない。。。

でも、筆舌に尽くしがたいとはこのこと!!

圧巻でした ()

正直、恐ろしかったです…吊り橋を壊すのが…って、ちがーう (T^T)

  

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2005年8月21日 (日)

なぞなぞ?

  使うとき要らなくて、使わないとき要るもの、な~んだ(^○^)

スタンダードですねえ~。

これは、「おふろのふた」「ペンのキャップ」「帽子掛け」などなど。

では、お次。

  開いてるとき見えなくて、閉じているとき見えるもの、な~んだ(^○^)

これも定番ですね。「まぶた」。

と~こ~ろ~が~、新手の答え発見。それは、

「選挙のポスター」…なんだそりゃ\(^O\)(/O^)/

  

実家は商店です。今日久しぶりに行ったら、日曜日なのでシャッターが閉まっていました。で、そこに、選挙のポスターがじゃじゃーん☆と貼られていました。

「どこかに貼っていっていいか」ときかれたので、「どーぞ~」と家の中から叫んだそうですが、まさか閉まったシャッターに貼っていくとは思わなかった…、と実家の者たち。

今日は日曜日だから閉まっているけれど、普段はこのシャッター開いてるわけだから、シャッターと一緒にしまわれちゃって見えなくなるわけで…意味ないですよね。。。(- -; 

  

…w( ゜ o ゜)w いや、そもそも、このシャッター、開けられないってば!!

シャッターって、お扇子みたいにぱたぱた畳まれて上部のボックスに収まるわけでしょう?その表面にぴた――っと大きな紙が貼られたら、畳まれないじゃあないですかっ!

試してみたら、案の定開かない。勝手に動かすのもいかがなものかと、連絡して貼る場所を移動~。はがしたあとには、両面ガムテープのあとがべったり (´△`|||)

    開いてるとき貼れなくて、閉じているとき貼…らないでね (・人・)

それは、「選挙のポスター」…?!\(^O\)(/O^)/なんなんだか~

  

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2005年8月20日 (土)

身だしなみ

  ネコをかわるがわる膝に乗せて、爪を切るひととき――私の至福の時です

selevy ←セレヴィはいつもこんなふう。こわい(m- -)m

chaneri ちゃねりはイイコにしている(p^-^)p  →

     

       出来上がり~

sele-no-te   

←セレヴィの手

  

chane-no-te

         ちゃねりの手→

  

忙しい時は貸してね~\(^○^)/

  

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2005年8月19日 (金)

○チミ○

  先日実家によくみえる業者さんから突然、

「くまのプーさんの好物って、ハチミツですか(- -;?」と尋ねられました。

「そ、そうですね(+ +)」と答えると、

「そうか…よかったー(^○^)!」と大変な感激ぶり。

そのかたは私と同じ年代の男性。

いったいどうしたことかと思い尋ねると、なんでも、クロスワードパズルを解いていて、カギのひとつの【くまのプーさんの好物】を知らなかったので、ほかのカギから迫っていったら、その保留にしていた部分が「○チミ○」とまで出来てきたらしいのです。

見当で(「ハチミツ」かなあ…)と想像したそうですが、もしそうでないとこれまで解いた分も大変なことになる!と思い、なんとか確かめたいと思っていたところに、出くわしたのが私だったそうで~。

「そうでしたか、プーさんの好物はハチミツでしたか~。いやあ、知らなかった。よかったよかった。」と満足しておいででした。

パズルの完成した感激か、はたまたこの歳にして(失礼(>v<)!!)プーさんの好物を知った感激か、いずれにせよ、なんだかわからないけど、よかったよかった、ホントに ~o(^-^)o

  

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2005年8月18日 (木)

母のいなか  ――母の母の実家

  さてさて、この“オプショナル・ツアー”の目的地はどこかというと、それは母の母の実家、つまりは私の祖母の実家でした。

  祖母は2年前の秋に亡くなっています。その直後から母が、「私の母の実家に行ってみたい。」と言い出しました。その思いは母のきょうだいたちも同じだったようで、今回の母の提案にはすぐにのってくれたようです。祖母の実家というのは―今回初めて知ったのですが―栃木県の物井。下館から車で30分くらいのところです。(実際には迷ったので、もーっとかかった (m- -)m )

  

  母のきょうだいは、《母・妹・弟・弟》。この日のツアーは、上の叔父を除く3人+運転手の私。上の叔父は母の実家の当主としてお盆のお客様のおもてなしに追われていたので、このメンバーになったわけですが、この叔父をおいていったこと、…というか、この叔父に誰もちゃんと道をきいていかなかったのが珍道中となってしまった理由です。

  「出かけるから車を出して。」と言われるがままに出し、「この道をしばらくまっすぐ行って。」と言われるがままに車を走らせ、「物井」という田んぼの真ん中の町の方面に向かうのまでは順調だったのですけれど…

やがて、3人のうち誰も正確に祖母の実家まで案内ができないとわかったときは……正直、おもしろかったです!

誰も、上の叔父に電話してきいてみようなんて言い出さないんですもの~私がそう勧めても無視されましたし~(^▽^)

「そばには川があった」「竹やぶの脇を通っていった覚えがある」…そんなことを言い合っては、「そーだった、そーだった」と盛り上がり、それぞれの小さい頃の、不確かな記憶をたどりながらの旅を楽しんでいるようでした。

「こっちだったような気が…」とみなが首をかしげながら言う方へ曲がり、そこへまた私が、「あーっ!ここ、夢に出てきた風景と同じだ!きっとここだよ~!私行ったことないのに、夢で見てたんだー!(T-T)」とわけのわかんない感動的な騒ぎを添えるものですから、ますます収拾のつかない方向へと迷い込み、最後は下の叔父が車を降り、たったったっと走り回り、見つけてきました。 

   

2005    これが、最終的に母たちを“納得”させた竹やぶです。この後ろ手には川も流れていました。

「竹やぶも川も、もっと大きかったのに…」とちょっぴりさみしがっていましたが、自分が小さかったから大きくみえたのか、本当に小さくなったのか、はたしてどちらなのでしょう。

  無事たどり着いた祖母の実家にも、お盆なので、母たちにとってはお会いするのは何十年ぶりという懐かしい親戚のみなさんがお集まりで、楽しいひとときを過ごしました。

  私はすみっこでみんなの思い出話を聞いていましたところ(∂v∂)r 。。。

どうやら祖母は“歌詞を覚えること”に長けていたらしいです。2番、3番まであればその分も確実に!

ひゃあああ~♪

その“血”、ありがたやあ~(*´人`*)

――しかしそれには続きがあり、歌うことだけは恥ずかしがって、人が忘れた歌詞を思い出すのを大いに手伝って、自分では決して歌わず人に歌わせているばかりだったとか~(´△`|||)え゛~~~?!それは困るよ――っ!!

ライヴは近い!前半の血?だけわきかえれ~~\(TO\)(/OT)/

  

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2005年8月17日 (水)

母のいなか ――真岡線

JR真岡線――今は「真岡鐵道真岡線」。

2005 「Stand by Me」したくなりそうな線路だったので、思わず踏み切りに入って撮ってしまいました~♪

あとから地図をみたところ、これはたぶん栃木県の「久下田(くげた)―寺内」間。

なぜ「あとから」なのか、なぜ「たぶん」なのか…

それはこの時、地図もなく、みなで道に迷っていたからです~。

そして車は一路、最終目的地へ!!

……うーん。。。「一路」でもないなあ。。。完全に迷ってたから (´△`|||)

  

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2005年8月16日 (火)

母のいなか ――ジャム工場

  母の実家は本家にあたるので、お正月やお盆に遊びに行けば、集まる親戚に一度に会うことができます。そのかわり、自分からはその親戚の家々を訪ねることのないまま、今日に至ってしまいました。

  先日の母の里帰りでは、「あちこち行ってみたい。」という母の希望から、母が実家に先に到着していた叔父や叔母たちも誘い、車で“オプショナル・ツアー”?に出かけました。

  その立ち寄り先のひとつの親戚の家には、敷地の一画にこのような建物が。

2005 「館童児蘭鈴」…

なんとも歴史を感じさせる建物です。聞けば、この児童館は20年前に閉館となったらしく、その後は親戚がジャム工場として使っているそうです。

中を覗いたら、まるでタイム・スリップ!(本当は外見のほうがそうなのですが(笑))中はすっかり改造されており、近代的な作りの作業場にジャムを煮る大きなお鍋がど~ん!なんでも、自分の畑で材料を栽培するところから手がけている「木いちごのジャム」が一番の人気の品だそうで、東京のお店にも卸しているのだとか…。知らなかった…。いえ、そもそも、親戚にジャム工場を営んでいる人がいること自体、初めて知って感激!身近なことのはずなのに、知らないことってたくさんあるんだなあ。。。

  

  すべて手作業のジャム作りでは、ジャムの味加減、煮加減はもとより、瓶に詰める時が一番大変だという話でした。

「ぐつぐつに煮上がったジャムを、熱々にしてあるガラスの瓶に詰める、そのときはゴム手袋をしていてもやけどしそうに熱くて大変(- -)!」とのこと。

「ちょっと冷めてから入れればいいのに~(; ;)」とは、私の愚問。

「雑菌の繁殖を防ぐためには、ジャムも瓶も熱々のうちに全て行わないと(- -)!」

…w( ゜ o ゜)w 確かに!そのとおりなんですよね!

あのジャムの瓶を開けた瞬間にポコッとふたが膨らんで戻るあの感じ、あれは、そういう状態の時に密封するからこそ起こることですのにね。お恥ずかしい質問でした~((((( ; ^o^)失礼しました~!

  

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2005年8月15日 (月)

母のいなか ――昔の名前

  母は嫁いで来る時に、姓のみか、名までも変わったという、特異な経験の持ち主です。戸籍係りの人の書き間違いのためだそうです。「そんなのありw( ゜ o ゜)w?!」と驚きましたが、当時はそんなことも“あり”だったようです。そして、その変わってしまった名前が気に入ってしまったこともあり、それをきっかけに今の名前に落ち着いたとか。
  
  母の里に帰ると、今でも母を昔の名前で呼ぶかたがたに出会います。
事情を知らなかった小さな子どもの頃は、自分の母親が自分の知らない名前で呼ばれるのですから、それはそれは驚きました。
やがて大きくなって、事の次第は理解したものの、多感な時期には、「やあ、帰ってきてたのか~。」といつまでも昔の名前で母に声をかけてくる地元の男の人たちが妙に気になったものです。
  
  どこででしたか、「世のおかあさんたちはみな大恋愛の経験者である」という格言??を見たことがあります。「こうみえても、お嫁に来る前はおかあさんはね…」と、“世のおかあさんたち”は口を揃えて言うからだそうです。母もよく「若い頃はもててもてて、誘いを断るのが大変だった!」と自慢していたので、この格言??には大笑いしてしまいました。
(でも、あながち冗談ではなかったのかも?!)
母が昔の名前で呼ばれる時に漂う、当時を知っている人たちだけが何かを共有しているかのような秘密の符牒めいた雰囲気を思うと、そんな気持ちにもなるから不思議です。
  
  母が生まれ育ったのは、どちらを向いても田んぼばかりの広がるいなか町です。
2005
2005
こんなのどかなところにも、60年前の本日正午、玉音放送は流れ、「大人たちが泣いていたのを見た」というのが、母の終戦の記憶です。
   

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2005年8月14日 (日)

母のいなか ――つくばね

  母の話が出た昨日の今日、急に、母のお盆の里帰りに車を出すことになり、茨城の下館まで行ってきました。

常磐自動車道の谷和原インターを降りて、国道294号に入り、あとはもう関東平野の真っただ中をひた走るのみ。見渡す限りの田んぼ田んぼ田んぼ!やがて右手に筑波山(標高876m)が見えてきます。

2005

筑波山は、男体、女体の二峰からなり、上代の歌垣(男女が集い、歌を詠み交わしたり、舞をまうなどして求愛する儀礼)でも知られる、恋のイメージの強い山です。

  今日は、「本歌取り」のまねごとを~。

「本歌取り」とは、和歌の世界で、前人の作品を踏まえて、わざとその語句や言い回しを取り入れ、歌を詠むことです。その元となった作品の情趣と重ねて、味わいを深めるというひとつの技法です。

小倉百人一首のうちにも収められている、筑波山を詠んだ歌…

  

  筑波嶺の 峰より落つる みなの川

          恋ぞつもりて 淵となりぬる

                       陽成院

「筑波山の峰から落ちて流れるみなの川が、ほんのわずかな細い流れから、次第に水の量を増し深い淵となるように、私の恋も、積もり積もってこんなに深いものになりました」というこの有名な歌を元に、ちょっといたずら心でこんな歌を~ヽ(*´▽`*)ノ

  

  筑波嶺を のぞむ背に降る 蝉時雨

          淵となりぬる 恋をやは知る

   

  さてさてこの日帰りの茨城行き、いつもの年と変わらぬ、お盆にあわせた母の里帰りだったのですが、私にとっては非常に興味深い発見の一日となりました。明日からももう少しおしゃべりさせていただきますね~ (p^-^)p

       

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2005年8月13日 (土)

母の挑戦

  母がハーモニカを習い始めました。地区のサークルに入り、またさらに個人レッスンも受講したりなどして、練習に励んでいます。

  実家に寄る度、「ちょっとここ教えて。」と楽譜を出されて引き止められては、「今急いでるから~。」と適当に切り上げてきてしまっていました。申し訳ないなと思いつつ…。

  一度だけ、かなり真剣につきあったのは、ひと月ほど前、タンギングでつまづいていた頃でした。私はきちんと習ったわけではないので、いい加減なことを言ってはと憚られたのですが、とにかく「舌で叩くように、叩くように」でなんとか通じ、母としてはすっきりしたようでした。最近では、主旋律を吹きながら、和音の伴奏も少しずつ入るようになりました。この着実な上達ぶりには、わが母ながら尊敬の念を抱かせるものがあります。

  プールに通ってみたり、ご近所のお友だちからフラのお稽古に誘われてみたり、あれこれ覗いた結果ハーモニカに落ち着くとは、正直なところ意外でした。

  聞けば母は、子どもの頃、村の小学校にあったオルガンを弾くことを、村でただ一人許された生徒だったとか――

…な、なんだか、よくわかりませんが (^o^; 、もしかしたら私のこーゆーのは、母のそーゆー“血”なのかも。。。

…さ、さらによくわかりませんが、母の話はまたいずれ…。

   

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2005年8月12日 (金)

雨に濡れても…?

  朝が苦手なので、夜のうちに洗濯物を外に出しておくことが多いです。そうすれば、まだ自分が朝行動を起こせないうちに、もう昇るお日さまが早速乾かし始めてくれるような気がして。

  そして、今朝もそのはずだったのですが…。

  

  毎朝6時の設定で、ケータイにお天気メールが来るようになっています。今朝6時、寝ぼけまなこでそれを見ると、なんと!「雨ときどきやむ」というとんでもない今日の天気予報が?!思わず飛び起きました!外を見ると、ザーザー降りの雨。夜中じゅう、(クーラーの音かな…)とのん気に聞いていたのは雨の音だったようで…(´△`|||)

  そのどたばたの中で、もう10年以上も前に友人から聞いた話を思い出しました。南米のアルゼンチンで生活をしてきたことのあった彼女が、とにかく感動してきたのは、現地の人々のそれはそれはおおらかな気質だったとか。「たとえば…」と彼女が話してくれたのはこんな話でした。

  雨が降り出し、日本人の彼女が慌てて洗濯物をとりこんでいたら、ご近所のかたがたに尋ねられたそうです。「どうしてわざわざしまうのか?」と。今まで考えたことがなかったので、「濡れちゃうから…」と答えたそうですが、「そのままにしておけば、またお日様が乾かしてくれるじゃないか~。」と笑われたそうです。そういわれてみれば、確かにそうなわけで、彼女ははたと考え込んでしまったとか~(^▽^)

  それを思い出して、今朝の私もはたと考え込みましたけれどね。なぜなら、洗濯物はすでにぐっしょり雨に濡れてしまっていて、どこにとりこんだらいいのかも困るほどだったので、(アルゼンチン風もいいかなあ…(- -;)と。

  でも、結局慌てふためいてとりこみましたよ。どうしてなのでしょうかね~(^▽^)

  

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2005年8月11日 (木)

もの忘れ&もの覚え

  最近いろいろなことをよく忘れます。どうせ忘れるなら、いっそのこと忘れたということすら忘れてしまえば心穏やかでいられるのでしょうが、(何か忘れてることがある、何か…)とだけ覚えているのはけっこう妙な気持ちのものです。

  今日は朝から、

「待ちに待った11日だ!」

という覚えだけはあったのですが、なぜ今日の日をそんなに待っていたのか、それが思い出せなくて、どうにも落ち着かない一日でした。

どこかへ出て行く必要を感じながら、出て行くことはできるかっこうのまま家におりましたが、はてさて何の用があったのだか…。

そしてそれを何かのはずみでついに思い出したのは、もう夜の7時55分になってからのことでした。「あっ!今日はワンワンデーだっ!」w( ゜ o ゜)w

毎月11日は「ワンワン」、22日は「ニャンニャン」ということで、いつも行きつけのペットショップではポイントセールの日になっているのです。ネコのトイレ用砂を買いだめするにはこの両日に限ります!今日「11日」は、先月の22日を逃した時からずーっと意識してきたのでした。それなのに、それなのに、「11日だ!(…で、何なんだっけ…)」の先が思い出せず、もう8時になろうという時間。

閉店までもうあと5分。今から車を出して…無理無理。あ~あ、今回も諦めざるをえませんでした (o_)o

  外に出る用事はなくなったわけですから、もうお風呂にも入ってしまおうか、部屋着にもなってしまおうかと思いました。ところが、そこでまた心にひっかかることがありました。

「今日は9時まではそうしてはいけない!」

…と、覚えてはいるのですが、はて…どうしてだったかがまた思い出せない…!

すっきりしない気分のまま、気になってあんまり適当なかっこうにもなれず、しばらく時間を過ごしました。

そして、8時半、玄関のベルが鳴りました。

宅配便でした!w( ゜ o ゜)w

そういえば、今日の「8-9時到着」を自分で指定した荷物があったことを思い出しました。荷物が来るということは忘れていたけど、とにかく、“何かあった”ことだけは覚えていたのでラッキーでした。玄関に受け取りに出られるかっこうでいてよかったです (T-T)

  なんだかこうして書いてみると、マンガを地でいってるような一日で、ちょっと情けないです。。。おっしま~い

  

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2005年8月10日 (水)

お片付け

せめて、車の中だけでも片付きますようにと、

  

  … ただいま行間をよみとっていただいているところです (- -) …

  

okatazuke_002 愛車の帰る日を待ちながらゲットしておいた“お片付け”グッズを、運転席の上に取り付けてみました。

サングラスにケータイ、ふた付きのポケットの中にはガソリンスタンドのカード。今のところ、整然としております。

ETCのカードもここに入れておいたら便利そうです。が!ETCが付いてなーい(^▽^)大笑い)))))  MDの入るポケットもあります。が!この車、カセットしか聴けなーい(^▽^)またもや大笑い)))))

  

  ロケ地にはこだわりましたよ~。窓の外の緑がいい感じでしょう?ここは私のお気に入りスポットのひとつ、田端の高台の桜並木です。わざわざそこまで車持っていってこんな車内写真撮るなって?ホントですよね~(- -)r

実はうちの周りは一方通行や右折禁止が多く、帰り着くためにはどうしても回り込まなければならないルートが決まっていて、この道はその時に通るんです。ですから、ここまでくればもうひと息なんですけれどね~、春には花が、夏には木陰が嬉しくて、ついつい車を停めたくなる、そんな場所なんです~ヽ(*´▽`*)ノ

   

  まだ旅の つひにあらねど 蝶のごと

       ただ愛でたさに 寄るえだみどり

  

  いつものスーパーからの帰りなんだから早く帰ろうよーまったくもう~(^▽^)最後にもひとつ大笑い)))))

  

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2005年8月 9日 (火)

彼女から教わったこと

  「東京で食べるかまぼこ、あれは私にとっては『これは“かまぼこ”じゃないわ!』というようなものなのよ。恭子さん、食べてみて、ちょっと驚くだろうけど、これが長崎のかまぼこなの。」

ニューヨークでとても仲よくしていた友人が、ご実家からだと言って(貴重な日本食だったのに…)私に分けてくれたのは、黒っぽく、舌触りもざらざらと、まさにこれは魚のすり身から出来ているものなのだということを感じさせるような、初めての“かまぼこ”でした。美味しかった~ (T T)
  
  彼女からは、いろいろなことを教えてもらいましたっけ…。
ラタトゥイユの作り方、ピーナッツ豆腐の作り方、ドライトマトの使い方…。どれも自分でするより彼女が作ってくれたものをいただくほうが多かったけれど P(^O^)Ψ
週末の夜遊びの過ぎる私がまず活動することのなかった、“日曜日の早朝”という世界、毎週その時間に、アパートメントのすぐ近くで産地直送の美味しい野菜の市が立っていることも、彼女は教えてくれました (+ +)
  
  
  長崎で生まれ育った彼女が、子どもの頃からいかに多くの被爆体験者のかたがたのお話をきいて大きくなったかということも。
  
 ――きょうは、長崎原爆記念日。
   

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2005年8月 8日 (月)

「車帰る」

  菊池寛じゃないんですから~このタイトルはまたなんともはや、、、ただ修理を終えて戻ってきただけだというのに、大げさだってば(^▽^)

でも!今回のわが愛車の留守は長かった―。やっと戻って来ました―。

aisha これです、これこれ。ささやかなヤツです。これはまだ中古車やさんにあった頃の写真。ナンバープレートが付いていないわけは、購入を決めた直後に撮ったものだからです。(改造したからじゃないですからね(笑)!)

「イタリアン・スーパー・カー」とでも呼んでやってください。な~んちて!!あはははははは\(^O\)(/O^)/

確かにイタリア車ではありますが、まさにスーパーに買出しに行くのにはもってこいの、名実共に??私の「スーパー・カー」です。なんのこっちゃです。(あ、余談ながら、ネコの重たいトイレ砂を買って来るのにも便利です。はい。)

  今回の修理なんて、部品がイタリアから取り寄せなものだから、修理費が中古で買った値段を超えちゃって、もう情けないったら。。。やはり遠い国で作られた車なんて、ほんの出来心から手をだすものじゃないのでしょうかね。泣けてきます。。。

  まあ、なかなか愛嬌?のある車ではあり…

オートマのくせに、ちょっとしたはずみでエンストします。…慣れました…(- -;

オートマ特有のクリープ(ブレーキを離すとアクセルを踏まなくても、じわっと少し進む現象)がないので、坂道発進はスリリングです。クラッチこそありませんが、右足を「しゅたっっっ!!」と素早くブレーキからアクセルに踏みかえないときちんと?後退してしまうあたりなんぞ、ちょっとした“マニュアル気分”です v(∂∂;

またもっとすごいことに、クッションがとても悪いので、段差のあるところを通過する時には、足を踏ん張って思わずおしりをちょっと浮かしたくなる、それはも~うまるで“チャリンコ気分”です (T-T)

  

  とにかくなんだかんだと手のかかるヤツなんですが、戻ってきてくれて嬉しいです

今日は郊外までお墓参りに~(^人^)今日も暑そだな~。

  

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2005年8月 7日 (日)

立秋

  ここ何日か、みんみんぜみの声がよく聞こえるようになったと思っていたら、早いもので、もう暦の上では秋を迎えてしまいました。

まだ暑さも盛りだというのに、この「立秋」の声をきくと、残る夏の日を数えずにはいられない気分に追い立てられるから不思議です。

  でもでも、夏のお楽しみはこれからっ!思い出に残る旅のひとつもしてみたいっ!(*^O^*)

  

  旅空に 想ひは翔けて 今朝の秋

  

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2005年8月 6日 (土)

思う日

  実家は朝起きてから夜寝るまで、NHKを一日中つけている家でしたので、物心ついた時にはもう自然に、8月6日の平和記念式典の中継を見ていました。式典の間、祈りというよりも葬送を思わせる悲しい厳かな音楽が流れ、やがて音楽が静かに止み、午前8時15分、原爆投下の時刻を迎えます。その「黙祷」の時刻になると、大人たちと一緒になってお祈りもしました。

  戦争を経験している祖父母も家におりましたし、両親、叔父、叔母も戦争を知る世代です。普段の生活の中で、“戦時中の話”は日常的に繰り返されていたものですから、それ以上に、戦争や原爆についてきちんと知ろうとしたり、調べたりすることは逆にありませんでした。聞けば聞くほど恐ろしいものでしたので、遠ざかるようにすらしていたかもしれません。

  

  小学校や中学校の国語の教科書にはだいたい、年間の進度からいうと夏に当たる頃に、戦争に関する文章が載っているものです。そしてこれがまた、ちょうど教育実習の時期に重なることも多いのですよね…。

  かくいう私も、教育実習で、広島の原爆に関する文章にあたりました。広島テレビで昭和44年に放送されたドラマ『碑』からの文章でした。このドラマは、爆心地である広島市内の本川土手で建物疎開の作業中に被爆し、5日後までに全員が亡くなった広島県立第二中学校1年生、322人の悲劇を記したものでした。

原爆どころか、戦争すら知らない自分が教材を扱って教壇に立つ身になってしまったのだから大変なことです。どうしたらいいのかと悩みましたが、中1の生徒たちと一緒になって戦争や原爆のことを真剣に学ぶ貴重なきっかけとなりました。

生徒たちにとっては、自分とまったく同じ歳の子どもたちのお話のわけで、その息を引き取る時に母親と交わした言葉などを読むと、授業中に泣き出してしまう子もありました。

学習の最後には生徒たち一人一人が綴った手紙を、広島の平和記念公園内にある「広島県立第二中学校慰霊碑」にお供えいただくように皆で荷造りをして送りました。

   

  あの時のような勉強の機会をあたえられたことは、本当に感謝すべきことだと思っています。逃げて、遠ざかっていてはいけませんものね。

今すぐ何ができるというのではないけれど、とにかく覚えていること、思い続けること、それだけはせめて……、と思っています。

    

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2005年8月 5日 (金)

めずらしく野球の話

  野球について特に詳しいわけでもないのですが、まあごくごく普通に関心はありまして、その中でも、野茂英雄選手にはちょっとばかり注目しております(

  ’95年に野茂が大リーグ、ロサンジェルス・ドジャースに移籍した年、私はニューヨークに住んでいました。

  ドジャースでの初登板の日、ちょうどその放映時、近所の郵便局に小包を出しに行ったら、なじみの局員さんに「Oh!こんなことしている場合か、早くテレビを見に帰れ!野球の時間だぞ!」と言われました。(そうか、このかたはそんなに野球がお好きなのね。)と思っただけで、そのまま隣のスーパーに寄ると、ここでもなじみの店員さんが話しかけてきて、「今日はNOMOが初めて投げてるんだぞ!見ないのか?!」と言われました。それで、さっきの郵便局で言われたことの意味もわかりました!

  「あーw( ゜ ○ ゜)wそーいえばそーだったそーだった!」と、当の日本人の私が、アメリカの人に促されて家に帰って慌ててテレビをつけました(^▽^; あの皆さんの関心の高さは嬉しかったです~。それからです。野茂のことがとっても気になるようになりました

  今はマイナーリーグで雌伏の時を!!先日のノーフォーク戦では3回の途中で降板してしまったけれど、次回の登板は今日5日の予定。ご活躍を祈っています~(*^人^*)

  

  以上、私にはあんまり似合わない今日のおしゃべり。

  

~つけたし~

今また調べたら、次回は6日に変更になったそうな。“次回の登板が早期昇格の鍵を握る”といわれていたのに、それが延びたのはなんかいやだな。。。頑張ってっp(^O^)q

  

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2005年8月 4日 (木)

カメのこと

  「ねこカメはな木」というおかしなカテゴリーを設けた時点で、いつか必ず書いておかなければと自分に言い聞かせた事柄がありました。カメのことです。4年前の夏に私のせいで死なせてしまいました。

  日ごろ大変お世話になっておりますベーシストの新岡誠さんが、ご自身のブログ
「にいたんのリスニングルーム」http://bassniioka.blog.ocn.ne.jp/listeningroom/ の、
7月29日の記事http://bassniioka.blog.ocn.ne.jp/listeningroom/2005/07/post_c74f.html  の中で「熱中症」について触れられたのを拝読した折に、ようやくきっかけを頂いた気持ちになり、今日はそのカメのことをお話しさせていただきたいと思います。
     
  そのカメは、14年前、練馬のアパートに住んでいた頃に、近所の小さなペット屋さんで買ってきました。どこにでもいるような、小さな小さなミドリガメでした。常にネコと一緒だった実家での暮らしを離れた直後だったので、部屋で一緒に暮らす生き物ができたことはとても嬉しかったです。
“冬眠”の手助けもしました。寒くなり始める頃には充分に食べさせ、水槽の水をなくし、砂利にもぐっていくのを見守ります。冬眠の間は本当に活動を休んでいるので、(もしかしてもぐったまま土の中で死んでしまっているのでは…)と不安になりました。春先に、しーんとした部屋の中に、ズズズ…ズズズ…とかすかな音が響き、やがてジャリジャリと音を立てながら土が盛り上がり、ゴソゴソとカメが元気で這い出してきたのを見たときには、誰が教えたわけでもない自然の営みに感激したものです。
ミドリガメの正式名称は「ミシシッピアカミミガメ」。大きくなると甲羅の大きさが30センチにもなります。その成長ぶりはめざましく、それに合わせ水槽はどんどん大きくなっていきました。
  
  ニューヨークに引越すことになった時には困りました。ご存知のかたも多いとおり、飼えなくなって池や川に放されたミドリガメは、外来種のもつその生命力の強さから、在来種を追いやり、生態系を狂わせかねないという問題を引き起こしています。誰かに頼んでいかなければなりません。東京の親戚には他に動物がおり、みな自信がないということで、結局福岡の親戚が4年間預かってくれました(大感謝!!)。出発前はカメを迎えに来てもらい、帰国後はカメを迎えに行くという、大ごとになりましたが…!
  
  福岡から私のもとに戻ってきてしばらく経った頃には、もうかなりの大きさになり、大型の衣装ケースを水槽代わりに、冬場以外は屋外で飼うようになりました。水も、少しずつ足す程度なら水道水で平気なくらい、すっかり丈夫なたくましいカメになっていました。イヌやネコとのようなコミュニケーションのはかれる相手ではありませんが、エサをやりに近づけばひゅいっと甲羅にひっこみ、エサをやった後しばらくそうっと傍にいると、やがてぬうっと様子を窺うように首を出し、バクッ、バクッと豪快に(固形の粒エサですが)食べる姿は見ていて飽きることはなく、なかなか味のある“家族”でした。
  
  ここに越してきた時、水換えの便を考え、カメのいる衣装ケースは物干しのあるほうでなく、水道の蛇口のあるほうのベランダに置きました。冬には室内に入れてやりましたが、そのベランダも部屋も、それまでのように日に何度も用があり出入りをする場所ではなくなってしまいました。それでもカメはとにかく一年中のんびりと気ままに、悠然とした風情で暮らしていました。
  
  4年前の夏、それはここで迎える二度目の夏でした。カメのいるほうのベランダには一日のうちのどこかで一度エサをやるためにしか出ませんでした。そのベランダは暑い!と気づいてはいましたが、カメの衣装ケースにはたっぷりの水と、好きな時に昇り降りできる丘とがありましたし、何より、去年の夏を越せたということですっかり安心しきっていました。
  
  7月初めのその日は、午前中は歯医者さん、夕方からはここでコーラスのリハということで、「カメにエサを」と思ってそのベランダに出たのは、二つの大きな用事の合間の、最も日の高い、最も暑い時間帯でした。
  ベランダに出ようとガラス戸に近づいた時に、カメのケースの中に白いものが見えました。戸を開けて顔を出すと、それが―どこから飛んできたのか―スーパーやコンビニの白いレジ袋であることがわかりました。あわててサンダルを履きながら、その袋が下半分は水につかっているのが見え、上半分が風にあおられカサカサいっているのを聞きました。丘の上にカメの姿はありませんでした。カメはあの袋の広がった下にいるのだろうと思いました。なぜでしょう、もういやな予感がしました。袋をどけるのがこわいと思いました…。「カメちゃん?カメちゃん?」ともう泣き声になりながら、おそるおそる袋をどけました。袋をどけたらひゅいっと首をひっこめてくれるといいなと思いました。が、そこには、力なく漂っているカメがいました。動きの地味な動物ですが、明らかに生きている姿とは違いました。
  
  全ては私の怠慢から起こったことです。
  
  カメを取り出すために夢中で手をいれた水は、ぬるめのお風呂くらいに温まっていました。熱かったのだろうと思います。ケースの下にすのこの一枚、上には日よけのよしずの一枚、どうして考えてやれなかったのでしょう。飛んできた袋で息を詰まらせたのか、袋が水面を覆ったために水温が上昇したのか、この袋一枚が何かの原因になったのかなっていないのか、そんなことはどうでもよいことで、つまりは袋が飛んできていたことにも、水がお湯になっていたことにも、気づいてやれなかったということ自体、とにかく、私のせいです。死んでいったカメがどんなに苦しんだか、想像するのはとても恐ろしく、胸が詰まりそうでした。
  
  こんな時にこんなふうに思うのは奇妙かもしれませんが、死んでいるカメを見つけたその瞬間、(取り返しのつかないことをした!)と思いました。毎日の生活の中で、たいていの失敗はどうにかなるものです。でも、この…「生」と「死」の境だけは…。「死」という絶対的な結末だけは、その後のどんな努力も後悔も反省も受け付けてはくれません…。
カメごときでこのようなことを考えるのはおかしなことかもしれませんが…。
  
  死なせてしまってからあれこれやってあげるくらいなら、もっと思いやってやればよかったものを…と思いながらも、何もせずにはいられなくて、白い新しいバスタオルにカメをくるんで、一番大きなお菓子の缶の中に寝かせました。甲羅だけで、B5の紙と同じくらいの大きさがありました。缶はお気に入りの大判のスカーフで包んで、何日か後に、動物専門のところで火葬にしてもらいました。お世話をして下さったペット葬の業者さんには、「カメは初めてです…」と驚かれました。そのかたは、カメをご覧になって「ああ!これは病気ですよ!ほら、ここがこんなふうに…」と説明して下さいましたが、「カメは初めて」とおっしゃったのとは明らかに矛盾ですよね。「私のせいで」を繰り返していた飼い主への配慮だったのだと思います。あたたかい心遣いを感じました。
  
  白いつぼに収められたカメの骨はそのままペットの霊園に預けることもできましたが、バッグに入れて持ち帰ってきました。
  今は小さなハンカチに包まれて、わたしが家で一番多くの時間を過ごす場所にあります。
    

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2005年8月 3日 (水)

近所に泥棒!

  日曜日の未明午前3時頃に近所に泥棒が入ったということを、今日の午後知りました。一階の窓ガラスを音も無く切り、手を入れて鍵をあけて侵入した形跡があるらしいです。お家の人のお手洗いに起きた気配で逃げ出したのでは、とみられているそうです。被害はお仏壇の引き出しにあった現金かいくらかだとか…。

  もちろん、泥棒に入られたのは大変な災難ですよ!でも、聞けば、鉢合わせしてしまっても全然おかしくなかった状況ではないですか。もし犯人が逃げ出さずに向かってきたら…?!それを考えると、(それで済んでよかったですね……(; ;))という気持ちになってしまうのは、やはり昨今凶悪な事件が多過ぎるからですよね…。

  

  私は時には深夜までなんだかんだで活動?していることもあり、「もう寝ようかな。」という時に窓をあけてみると、さっきまでの暑さがうそのように思われるほど、夜風が気持ちいい涼しさになっていることがあるのです。そんな時、(エアコンを切って、このまま窓を開けて寝ちゃおうかな~。)と迷うことがあるのですが、(いやいや、何かあってからでは遅いのだ。)と思い直し、やはり窓を閉めて鍵をかけます。エアコンや扇風機の調節を誤り、起きると喉がおかしくなっていたりして、なかなかうまくいかないのですが、今日この事件を聞いて、改めて気を引き締めなければと思いました。

  

  子どもの頃は、けっこう窓を開けたまま朝まで平気で寝ちゃってた気がするんですが。クーラーの無かった時代のことで仕方なかったとはいえ、大胆な話ですけれどね…(^▽^; そんなのんびりした頃があったんですね~。懐かしいです。

  

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2005年8月 2日 (火)

なつのはな ~芙蓉~

fuyou  ご近所の芙蓉です。私の大好きな花のひとつ。

  若い娘時代は、今ほど咲いている花やその名前に関心はなかったのですが、この花に興味を持ったのはわりと早いうちでした。

  さだまさしさんの曲「追伸」の冒頭でこの花は登場します。

    

    撫子の花が咲きました 

    芙蓉の花は枯れたけど

  

撫子はわかりましたが、芙蓉は知らなかったので、周りの大人に訊いて教えてもらいました。

  

  なにしろ多感なお年頃、歌がきっかけで興味を持ったものは多いです。

  たとえば同じくさだまさしさんの曲でいうなら、「パンプキン・パイとシナモン・ティ」。今でこそ、そのパイもお茶もポピュラーですが、当時の私にはとってもハイカラに感じられるものでした。“パンプキン・パイ”と“シナモン・ティ”というものに出会えるお店を必死で探しましたよ、学校帰りに。(←ここは小さな声で読んでね(笑))なんてったって!「シナモンの枝でガラスに3度恋しい人の名を書けば愛が叶えられる」と歌われていたものですから。。。(*へへ*)

  

  撫子の花が咲きました 

  芙蓉の花は枯れたけど

  あなたがとても

  無口になった秋に

  

「追伸」の詞はそう続きます。

  この歌をきっかけに知ったこの芙蓉の花は、私にとってはまるで、それが咲いている間は夏の盛りであることと、恋の続いていることを示してくれるような花となりました。

      

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2005年8月 1日 (月)

ちゃねりがやって来た!             ――後篇

  TAKERUさんのお話というのはこのようなものでした。

  
  まだ目も開いていなかったくらいの赤ちゃんネコを保護したかたがいる。ほとんど生まれたてに近く、助かるかどうかと思ったほどだったが、哺乳瓶から子ネコ用のミルクをうまく飲むようになり、どうにか無事に育っている。ところが実は、そのお住まいでは動物を飼うことは禁止されているので、里親を探している。…とのこと。
  
  つまり…そのネコはTAKERUさんのところのネコちゃんとはまた別のネコちゃんなわけで、TAKERUさんのお家に伺ってTAKERUさんのネコちゃんを引き取るお話かしらという、私の最初の勝手な想像とは全然違うことになるわけです。
  
  「…どなたなんですか?私の存じ上げているかた?」
さらに聞けば、なんでもTAKERUさんは、何日か前にたまたま立ち寄った近所のコンビニでそのかたと出会ったのだとか…。
「子ネコの里親募集のポスターを貼らせてください。」という女の人の声が聞こえ、ネコのこととなると放っておけないTAKERUさん、ご自分からそのかたに「どうしたのですか?」と話しかけたのだそうです。
  
  「…じゃあ…この先どういうふうになるんですか?TAKERUさんがまずそのかたからネコを引き取って、私はTAKERUさんのところに迎えにいけばいいんですか?」
初めてのことにとまどって、私はそんなふうに尋ねた気がします。それが一番簡単なように感じられたので。
  
  ところがTAKERUさんの答えはこうでした。
そのかたもそのネコをとてもかわいがっておいでなので、誰でもいいというわけにはいかず、まず会って、きちんと話をして、「この方になら!」と納得してからお願いしたいと言っているのだ、と。
  
  な、なんだかずいぶん難しい話になってきてしまいました…!
「TAKERUさーん、やっぱりわたし…」
「大丈夫。とにかく連絡をとってみてください。『TAKERUから聞いた』と言えば話は通じるから。このくらいの時間なら家にいるということなので。」
  
(えーーーっ?!私がもう直接連絡をとるの~?!)
  
TAKERUさんは、もしも私が先方とうまくいかないような時には、私がどんなにネコが好きで、かわいがって育てることのできる人物かどうか、援護射撃?をしてくれるといいます。
それでも不安がる私を励ますように、TAKERUさんは続けました。
「恭子さんより少し年上くらいかな。快活で、聡明な感じの素敵な方でしたよ。いいお話ができるはず。」
  
(快活で聡明で素敵な…?!)
  
  私の中では、もうバリッバリ☆のキャリア・ウーマン風のそのかたのイメージが出来上がってしまい、ますます怖くなってきてしまいました。
まるで、就職の面接かお見合いかというような緊張モードに突入――っ!
どきどきしながら、TAKERUさんから教わったそのかた“Tさん”のご自宅の番号に電話をかけました。
  
…ベルの音が…ひとつ…ふたつ… … …ガチャッ
  
「はい。もしもし。」
  
……!!
かわいらしい小さな女の子の声でした…
バリッバリ☆のキャリア・ウーマン風のかたがお出になると身構えていた私は、とまどいました。
「…あの~、TAKERUさんとおっしゃるかたからネコちゃんのお話を伺った者なのですが…」
そう名乗るしかありませんでした。
少し、…ほんの少しの沈黙の後、
「はい。お待ち下さい。」と受話器を置いて、彼女は、「おかあさーん」でしたか「ママー」でしたか、母親を呼びに遠ざかっていきました。
    
  その沈黙はほんの一瞬だったと思うのですが、私にとっては全てを理解するのに充分な長さでした。
きっと赤ちゃんネコを見つけたのは彼女なのでしょう…「お願いだから!」とお母さんに頼んだのでしょう…「ネコが元気になるまででいいから!」「引き取ってくれる人がみつかるまでよ」そんなやりとりもあったでしょう…自分の小さい頃の思い出と重なって、そんな想像が一度に頭の中をかけめぐりました。
おそらくこの電話は、彼女が恐れていた電話だったのに違いないのです。
  
  しばらくして、電話口にTさんがお出になり、
「このたびはTAKERUさんに本当にお世話になって…」とご丁寧なご挨拶を頂いたのですが、女の子の声を聞いてしまった私はもう気もそぞろで、ご挨拶もそこそこに、
「…あの……お子さんがおいでになるのですか?」と尋ねてしまいました。
「え?ああ、はい。先ほどは失礼をいたしました。」
「いえ、あの……、ネコちゃんのこと、かわいがっておいでなのではないですか…?」
「そうですね~。夢中で世話をしています。」
「…そうですか…。…あの…そこではどうしても飼えないのですか?」
「はい、今はなんとかなっていても、ここでは飼って行くことはできないのだということは、娘も納得しているようです。」
「…そうですか…。」
  
それからしばらくTさんが今のネコの様子などをお話しくださり、私はそれを伺っていました。お話はどんどん進んで、「では子ネコの写真をパソコンで送りますので、一度ご覧になってからお決めくださいね。」と。なんだかいつの間にか、後は私がネコを見て決めるだけのようになっていました。直接お会いしての“面接”はいいのでしょうか?私は慌てて、こんなに簡単に決めていただいてよいのかと尋ねましたら、Tさんはこうおっしゃってくださいました。
  
「最初に、娘がネコを手離せるのかどうかご心配くださったでしょう?あのお言葉が伺えた時点で、もう私はなんの心配もしておりません。お会いしなくてもわかります。どうぞよろしくお願いいたします。」
  
その日のうちに、かわいらしい子ネコの写真がパソコンに送られてきました。
TAKERUさんにご報告もしました。TAKERUさんは、“援護射撃”の必要もなくめでたく話がまとまったことをとても喜んでくださいました。
そしてそれから何日か後、Tさん、TAKERUさん、私の3人はファミレスの駐車場で待ち合わせをしたのでした。TAKERUさんはネコを抱き、「かわいいねえ~。よかったねえ~。」と目を細めておいででした。Tさんは、想像どおりの素敵な、そして、とっても爽やかであたたかいかたでした。「もういらないので。」と、Tさんからは哺乳瓶とミルクも頂きました。お嬢ちゃんはお家でネコちゃんを見送ったとのことでした…。
  
  
  ネコにはまだ名前がありませんでした。
死にかけていたネコを助け、どんなにかかわいがっておいでだったでしょうに、あえて名前を付けずにいたTさんとお嬢ちゃんのお気持ちを思うと、本当に切なくなりました。
ネコは茶色のトラネコ。Tさんは練馬のかた。練馬からやってきた茶色いネコなので、   「ちゃねり」と名付けました。
    

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